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天神 整体

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骨盤王子

こんにちは!骨盤王国院長の内村です!ニックネームは骨盤王子

幼少時代

鉗子分娩で生まれたため、頭に2か所の傷が残る。生まれつき体は強い方ではなかったので幼い時は両親にかなり心配をかけました。

昔から好奇心旺盛で、自分の好きなことが見つかれば没頭して一日を過ごしていたみたいです。また、弟にしょっちゅうちょっかい出して泣かしていたらしいです(笑)

小学生時代

小学校は田舎だったこともあり全校生徒は20数人、同級生は6人でした。

当時は一輪車にハマり毎日練習していました。今でもちょっとした技なら出来るのが自慢です。

回りは山や畑や川に囲まれていましたので、近所の家のタケノコ採りを手伝ったり釣りをしたり、秘密基地を作ったりして遊んでいた記憶があります。

街灯があまりなかったので自転車に乗っていて、道が分からず良く畑に落ちたりもしていました(笑)

中学生時代

中学生では人数が少ないからレギュラーになれるかと思い、バレー部に入りましたが同期は3人。 剣道部や陸上部から部員をひっぱてきて試合に出ていました。

その後、サッカー部に移籍。練習で走らなくていいかと思いキーパーになりましたが、滅茶苦茶走らされていました(笑)

ある練習の時、ボールをけろうとした瞬間に間違えて地面を蹴ってしまい腰を骨折。 痛くてたまらず整形外科に行きましたが、異常はなし。

しかし、何をしても痛みが止まらず、ずっと座ったり立ちっぱなしだったり等の動作が出来ず耐え切れなくなり一年後に違う整形外科に行くと骨折していたらしく、「骨が離れてくっついてしまっているから、もうこれは改善しないよ!スポーツはやめて安静にしておくしかないね。」といわれました。

この時は本当にショックで一時立ち直れませんでした。 この時の出来事が後の人生を変えることになります。

高校生時代

高校生では男子校だったこともありケンカに負けまいと空手を始めました。空手バカ一代にはかなりお世話になりました(笑)

しかし、この時もまだ腰が改善しておらず、激痛で学校を休むことも多くありました。

このころから空手をどうしても続けたかったため、色々な改善法を探し始めました。 〇○整骨院がいいと言ったらそこに通い、気功がいいと聞けばすぐに行っていました。

しかし、病院も含め、全部で50か所ぐらいは回りましたが何処も私の腰を改善してくれるところはありませんでした。 腰には毎日激痛が走っていて、もう大好きな空手をやめるしかないなと自暴自棄になったこともありました。

そんなある日、先輩の紹介で〇○カイロプラクティックに行ったのが私の人生の変わり目でした。 内心また駄目だろうなと思いながらも施術を受けていると、今までとは何か違った感じで、施術後に少し腰が軽くなった気がしました。

それから、何回か通ううちに私の腰はみるみる改善していきました。 「これは何だ??今までのと何が違ったんだ?」

その後

そうして気が付けばこの仕事を志していました。

高校を卒業して当時の目標であった空手のチャンピオンになるため、朝~夕方は過酷な練習を続けながら夜や休みの日は様々なバイトをこなし、同時にカイロプラクティックの勉強に通っていました。

そして6年の修業を積みカイロプラクティックオフィス天神を開業しました。 しかし、多くのお客様に接する中で色々と疑問になることや、もっとこうした方がいいのではないか?

こうやったほうがもっと喜ばれるのではないかと、試行錯誤の末、2012年5月28日にカイロプラクティックオフィス天神を改め骨盤王国となり移転リニューアルいたしました。

趣味

スポーツ

格闘技オタク。特に空手とボクシングは自身が志していたこともあり愛してやみません。 その他、筋トレやランニング、なまった体を鍛えるのが大好き。 カヌーやスキーも昔はよく行っていました。 内緒ですが、実はこそっとバレエをやっていた過去も・・・。 現在は、山登りや、海でスタンドアップパドルサーフィンにはまっています。

人間観察

とにかく人間を観察するのが好き、骨盤や体の歪みから性格を当てる特技?をもつ(的中率30%くらい)街を歩く際や、スポーツ番組を見る際などは動きが常に気になるので、オフの時は一切見ないようにします(笑)

読書

ビジネス書や自己啓発書など自分磨きにはまっていました。 学校の勉強は嫌いですが、整体の勉強と自分磨きの勉強は大好き。集中しているときは風呂の中でも読んでます。

ちなみに漫画も大好きで、ジャンプ、マガジン、チャンピョン、ヤングマガジン、ヤングジャンプは毎週読んでいます♪刃牙やカイジ、はじめの一歩なんかが大好きです。

お酒

乾杯~!!! 仕事終わりの至福の一杯のために行きています。 ビールが大好きで、なかでもオリオンビールがお気に入り。昔はプレミアムモルツやエビスなどが好きでしたが、最近は薄めが好みになっています。メキシコのテカテとか。

その他

食欲は旺盛ですが、物欲はない方だと思います。 自然が大好きでたまに感性の充電をしに行きます。 面白いアウトドアスポーツに今後チャレンジして行きたいので是非誘って下さい(^^)

渕上 真裕美プロフィール

こんにちは!骨盤王国の渕上です!ニックネームは骨盤DON

整体師になるまでのストーリー

幼少期〜中学生時代

渕上真裕美

2448グラムとからだがほんの少しだけ小さく生まれた私ですが、泣き声だけは病院のどの赤ちゃんよりも大きく元気だったそうです。
幼少期は、泣き虫で怖がりでいつも「ママ、ママ」と母にべったりな女の子でした。
小学生の頃は、あいかわらず泣き虫のままでしたが身長も横幅もたくましく育ち、休み時間に入るといつもボールを持って毎日友人たちとドッジボールをする活発に、中学生になると、思春期ということもあり少しでも大人っぽく見せたいと背伸びをする女の子でした。

それまでの考えが一変した高校時代

それまで何も考えずマイペースに適当に毎日過ごしていた私ですが、高校3年生の夏の終わり小学生の時からの親友が病気で亡くなりました。
後から知らされたのですが、生まれつき脳の血管が毛糸のように絡まっていたようで、成長していくにつれてその絡まりが血管を徐々に圧迫していき、気付くことなくいきなり症状が現れたそうです。

私たちの小学生の頃からの合言葉は「おばあちゃんになっても一緒にいようね」でした。昨日まで当たり前にそんな話をしながら笑いあっていたのに本当に突然でした。
親友がいなくなってはじめて、私は今まで適当に生きてきた自分の人生にひどく後悔をしました。
なぜ、二度と会えなくなる前にもっと会っておかなかったのか?もっと沢山親友のためにしてあげられることがあったのではないか?思い出も沢山作れたのではないか?と、毎日後悔しては自分を責め、後悔しては自分を責めという日々を過ごしていました。
ただただ、自分の無力さが悔しくて悔しくてどうしようもありませんでした。
もう二度と同じ後悔をしたくない、何もせずに後悔するくらいなら、行動を起こして後悔したい。それがあの時からずっと、私のモットーとなっています。

自由のきかない身体になった20代前半

高校を卒業し、金融機関に入社した私は沢山の方に支えられて失敗を繰り返しながらも社会人として日々成長していました。
まだ寒い2月の初め頃です、仕事からの帰宅途中に横断歩道を渡っていたところ、曲がってきた車にはねられる事故に遭いました。
幸い、骨折などはせず打撲と左足首の捻挫ですみました。しかし、そこからが私にとって辛い日々のはじまりだったのです。
骨折はしてないものの、足首を捻挫しているため地面に足をつけると激痛が走り松葉杖がないと歩けない、身体は少しでも動かせば痛みで辛いという日々が続きました。
せめて、松葉杖なしでも歩けるようになりたい一心で大きい病院や事故関係を取り扱っているクリニック、整形外科などに足を運びました。
しかし、どこに行っても骨折はしていないから大丈夫、テーピングをしていれば大丈夫、痛み止めの薬出しますね・・・

自由に歩けず、今まで当たり前にできていたこともできない。
周りができていることができない。
そんな、自分がもどかしく、みじめで、悔しい日々を過ごしていました。
月日が経つにつれ、はじめは治る!絶対前みたいに戻れる!と思っていた私でしたが、全然良くならない身体に、もう治らないのかもしれない、今まで見たいに普通にお仕事をしたり、お買い物に行ったりできないのかもしれないと諦めの気持ちがどんどん大きくなっていきました。

人生を変えてくれた先生との出会い

なかなか、治らない私の身体を心配して母は色んな人に聞いて、ある整骨院の先生を紹介されました。
私自身、病院を変えたってどうせ良くならないに決まってるとほとんど諦めの気持ちで母に言われるままに紹介された先生の元へ行きました。
すると、初めて行ったにもかかわらず足の痛みが軽減したのです。「あんなに沢山他の病院に通っても痛みが変わらなかったのに・・・すごい」これが私のその時の率直な気持ちでした。

そして、一週間もしないうちに見事に歩けるようになり、悩まされていた身体の痛みも信じられないほどなくなったのです。
あんなに毎日毎日痛みともどかしさで苦しい思いをして、自分自身でさえ諦めていた左足首と身体の痛みがなくなった事実。
事故に遭う前にできていた、人の手を借りず階段や段差の上り下り、スムーズに歩くということが当たり前にできるようになったということ。
私は、ただ、ただ感動しました。
その時、私の中で「私も、この先生のようになりたい」、「私のように苦しんでいる人を助けたい」、「救える人になりたい」そう強く強く思ったのです。

そして、整体師へ

人生は一度しかない、何もせず後悔するくらいなら行動して後悔したい。
私は金融機関を辞め、整体業界で働くことを決意しました。
金融機関を辞めるとき周囲からは猛反対されました。
安定した職を自ら離れて、よく分からない整体師を目指すなんて浅はかな考えではないか?今までの生活が全て無くなるかもしれないんだよ?

両親も、体調面など色々心配してくれているのは分かりましたが、私が安定を捨てて本気で整体師になりたいことを伝えると「あなたが本当にやりたいことならやりなさい!あなたの人生はあなたしか歩けないから」といって背中を押してくれました。沢山の人に支えられ、応援されて生きているんだと心から感じた瞬間でした。
私は体が不自由であることの辛さ、苦しさ、もどかしさ、そして何をしても身体に痛みがあれば心から楽しめない、喜べないということを身をもって体感したことから、同じように悩んでいる人の気持ちが痛いほど分かります。
そして、その苦しさから救われる。痛みからの解放の喜びも身をもって体感しています。
次は私が皆の力になる番です。

一度きりしかない人生。心から楽しまないともったいないですよね?
痛みがあるなら私に任せてください、頭のてっぺんから足の指の先まで全てがあなたの体の一部。全て大切なあなたの身体なんです。今後の楽しい人生のため一緒にしっかり改善していきましょう。全力でサポートします!!

趣味

ムーミン

世界中で愛されている、トーベ・ヤンソン作のムーミンが大好きです。
可愛いムーミンのキャラクターたちの、その見た目からは想像もつかないダークファンタジー的な独特な世界観がとても魅力的なんです。
作中には大変胸を打たれる言葉や、名言が沢山出てきます。
私の一番のお気に入りの言葉は、旅人スナフキンの『「そのうち」なんて当てにならないな。いまがその時さ』という言葉です。
可愛いキャラクターたちなのにこんなに素敵な言葉をいうなんて、ムーミン、とても素敵です。

イラストを描くこと

小さい頃から、絵を書くことは好きでよく動物の絵や漫画の絵を描いていました。
祖父の家が山の中にあったのですが、小学5年生の夏に祖父の家の庭で見た青色の綺麗な蝶を見てからは、しょっちゅう蝶を書くようになりました。
ただ、背景画はとても苦手です(笑)
社会人になってからは、絵を描くこと自体少なくはなっていますが、趣味としてたまーーにイラストを描いたりしています。
ちなみに、イラストを描くときの画材を見るのも好きで文房具やさんがあるとフラッとはいってしまいます。

お酒

一人飲みでも大勢で飲むのも大好きです。
特に白ワインをジンジャエールで割ったものが大好きで、むしろジンジャエールが好きなのではないかというくらい、いつもジンジャエール割を飲んでいます。
このお酒とジンジャエールの組み合わせとても合うよ!っていうのがあれば是非教えてください♪

読書

小説、自己啓発、漫画、色んなジャンルを読みます。
小説では、特に伊坂幸太郎さんの作品が好きで「グラスホッパー」は一晩で読み終えてしまいました。漫画は少年漫画が大好きで特に「うる星やつら」という漫画が好きです♪

久保田友和プロフィール

こんにちは!骨盤王国の久保田です!ニックネームは骨盤マイティー

幼少時代

幼少時代

私は午前3時過ぎに体重3,330g帝王切開で生まれました。3という数字に縁があるのかなと勝手に自分のラッキーナンバーにしています(笑)

伊万里の自然豊かな環境で育ち、田んぼで野球をしたり、山の斜面を使ってダンボールで滑ったり、夏にはカブトムシやクワガタを取りに行って遊んでいました。昔から活発な子供だったと思います。

家族や親戚に良くマッサージをして「友和マッサージ上手だね~、マッサージ師さんになりんしゃい」と言われていましたが、まさか本当に仕事にしていくことになるとは思っても見ませんでした。

学生時代

学生時代

保育園から続けていた書道は四段、空手は初段まで取ることができました。この二つを続けたことにより礼儀作法・忍耐力が身につきました。

中学ではソフトテニス部に入部し最後の中体連では高熱を出し自宅で寝ていたのですが、顧問の先生から電話があり「最後の中体連に出ないと後悔するぞ!試合になったら呼ぶから保健室で寝て待て」と言われました。親に送ってもらい保健室で休んでいました。試合時間になり顧問の先生に呼ばれていったのですが、ここで不思議な体験をしたんです!体は高熱でフラフラの状態でありながらプレーは絶好調!ファーストサーブもバンバン決まり気持ちよく試合が出来ました!全部終わった後には熱も引き治っていました。
顧問の先生からの電話がなければこんな体験は出来なかったと思います。

高校進学時には“今からはパソコンの時代だ!”と思い商業の情報処理学科へ、その後もパソコン関係の専門学校に進みました。そこでは新聞奨学生として働きながら学校に通いました。毎日夜中に起きて朝刊を配り、学校が終わるとすぐ帰って夕刊を配るという忙しい日々を送っていました。

大事故

大事故

そんな中、後の人生に影響する大きな事件が起こりました・・

在学中に交通事故に合い左足粉砕骨折、頭蓋骨にヒビが入りバイクは全損するほどの大事故にあってしまいました。医者から「ヘルメットしてなかったら死んでたね!」と言われ信じがたい思いでいっぱいでした。手術をし左足にボルトを入れギブスをはめ入院とリハビリで大変な思いをしてきました。親・兄弟・友達には本当に心配をかけたと思います。

このような事故に合い、自分が不自由な生活を体験していく中で、同じように体が不自由で困っている人の力になりたい!と強く思い、卒業後は介護の道を目指しました。

整体との出会い

整体との出会い

専門学校を卒業してすぐ障がい者施設に入社しました。最初は事務員として会計・経理をやっていました。今まで肩こりや首の痛みなどは“他人事”だったのですが、日々のデスクワークで徐々に首と肩に違和感・・・張りが出てきてコレが肩こりなのか!と実感しました。
長時間同じ姿勢が続くと疲れ・痛み・違和感・張りが出てきて集中できない感じでした。

これはたまらない。不快感をなんとかしたくて最初に行ったのがリフレクソロジーでした。反射療法とも呼ばれ主に足裏(手のひらも含む)の特定の部位を押せば体の特定の部位に変化が起こることに基づき、疲労の改善などをはかる療法です。通ってみたところ体がこんなに疲れていたのか!とビックリしました。徐々に楽になっていった経験から「コレ」を学びたいと思い通信教育とスクーリングでリフレクソロジーとテーピングを学び始めたことが整体師としてのスタートでした。

ある時、上司から「介護の現場に入ってみないか?」という誘いがあり介護士として働くことになりました。就労支援センターを経験し、次に異動になったデイサポート(通所介護)で勤務しているとき、交通事故や病気により後天的に障がい者になられた方と多く接するようになりました。その頃、機能訓練指導員という辞令をいただき利用者の方にリハビリの手伝いやマッサージを行うようになりました。ある日、利用者が私の所に駆け寄ってきて「久保田君!ほら見て!こがん動くごとなったばい!ありがとう!」と満面の笑みで感謝の声を頂きました。リハビリやマッサージをすることで、動きが改善され出来ることが増えた時の利用者の笑顔を見たとき“こんな人をもっと増やしたい!笑顔にしたい!”と強く思いました。

それからは仕事の合間に整体やマッサージの勉強をしたり、体について調べたりしていくうちに、のめり込む性格からかどんどん整体の深みにはまって行きました。
研究に研究を重ねていくうちに、骨盤王国という整体院に出会ったのです!

実際に受けてみたいと思い、まずは患者として施術を受けに行きました。
そこでまるで稲妻に打たれたように驚きを受けたのです。
体を悪くする原因が表面的な事では無く、内臓や過去の傷、精神的な事からも来るという事実を知って愕然としました。

それと同時に「自分が学びたかったのはコレだ!ココなら自分が目指す整体にたどり着ける!」という確信とも言える強い気持ちが心の中から沸々と沸いてきたのです。
何より私自身交通事故で諦めていた足や腰周りが動くようになり、また趣味のロードバイクで気持ちよく走れるようになりました。

この経験から言えますが「事故に合ったりヘルニアになってもしっかり治療すればまたやりたい事が出来る、きちんと治療すればやりたいことを我慢しなくていいんです!」

実は私は事故後の手術跡を治療してからの方がアクティブに動いています!ロードバイクやウェイクボードなどやりたいことをやってます(笑)ですので、このことを多くの人に知ってもらいたいんです。一人でも多くの方に私と同じように体を治して色々な事に挑戦してもらいたいと思っています。そのために治療家として、日々研究に研究を重ねています。

この文章を読んで頂いているあなたは体が不調で色々と不安なことが多いと思いますが、勇気を持って改善の一歩を踏み出してみませんか?一人で悩んでいるだけでは体は良くなりません!骨盤王国に連絡頂ければあなたの大切な第一歩を私が一緒にサポートしますよ。
治療のモットーは「必ず治ってもらうこと」「なりたい自分になってもらうこと」
皆さんの心と体が元気になって笑顔で楽しく過ごせるよう全力で施術していきますので、私にお任せ下さい。大丈夫。必ず良くなりますよ!

趣味

スポーツ・アクティビティ

ロードバイク、ウェイクボード、ジェットスキーなど体を動かすことが大好きです!ロードバイクでは伊万里から唐津、武雄、福岡、長崎、いろんなところを走ってます。ウェイクボードは長崎の大村湾や福岡の博多湾まで滑りに行ってました。とにかく体を動かすと気持ちいいですよね!

ファッション

洋服が大好きでよくウィンドウショッピングをしています♪ホントにショッピングになってしまうことが多いのですが・・・(笑)実家にはちょっとしたショップが開けるくらい洋服・バック・靴が山ほどあります!いろいろコーディネートを考えて一人ファッションショー(笑)めっちゃ楽しいですよ♪ショップの定員さんとファッション談義に花が咲きよく長話しています(笑)

音楽

高校で「ベースギターやらない?」と友達に誘われ当時はギターが良かったんですが、レッド・ホット・チリペッパーズのCDを渡され聴いてすぐにベースやる!と即決しました(笑)スタジオで演奏すると気持ち良いですよ!カラオケで歌うことも大好きです♪現在はベースを売り新しくテナーサックスに挑戦しています!人前で演奏できるように頑張ります!

大森一矢プロフィール

こんにちは!骨盤王国の大森です!ニックネームは骨盤剣(Ken)

幼少時代

大森一矢

くまもんのふるさと火の国・熊本にて3300gの末っ子として生まれました。標準体重より少し大きめで生まれた割には、意外と体調が崩れやすくよく小児科のお世話になっていたそうです。

兄姉とは歳が離れていた為、両親からは自由に育てられたことで好きなことは自分が納得いくまで、コツコツと時間をかけて最後までやり続ける性格になりました。

小学生時代

大森一矢

小学校時代になると、体調も崩れなくなり、スポーツ少年に成長していました。好奇心旺盛なことと元気が有り余って、日が暮れても遊びつづけるわんぱく小僧っぷりで両親にはよく呆れられていました。

小学校2年生のときに漫画「北斗の拳」の主人公のケンシロウに憧れ伝統空手の道場へ入門。その後は小学校を卒業するまで毎週、月・水・金と稽古に励み大会では型の部で優勝することができました。

空手を習っていたおかげで小学6年生の時は応援団の団長に任命されて運動会を盛り上げる為に全力出し切ったのは良い思い出です。

中学生時代

一度、空手に区切りをつけて、中学生時代はバドミントンの部活動に熱中しました。
中学2年生のときに松岡修造ばりの熱血な女性の先生が転任してきてからは、練習がどんどん本格的になり週末もほぼ練習する毎日になりました。練習はハードでしたが上達していくのが楽しくてよりいっそうバドミントンにのめり込みました。

そんなときに、だんだんと腰に痛みを感じはじめ、授業中に椅子に座っているだけで左足にしびれを感じるようになっていきました。整形外科にいくと左の坐骨神経痛と診断され、約1ヶ月間の運動禁止するように言われてしまいました。体育の授 業さえ見学して辛抱して過ごしたことで坐骨神経痛の症状は軽くなっていったのですが、疲れが溜まると腰や左足のしびれに悩まされました。

あと、中学3年生のときに父が約2年間の癌との闘病生活後に42歳の若さで他界したことで「人間はいつ死ぬかわからない。死ぬ時に後悔しないように生きよう!」という気持ちを人一倍強く持つようになりました。

高校生時代

大森一矢

高校生は工業高校に入学。「強い漢」に憧れ、再び空手道部に入部しました。順調に稽古していましたが、1年生の冬休み前に交通事故に遭い両足を骨折。3ヶ月間病院に入院することになりました。順調に回復し、事故から半年後に運動が再開できる状態になり、2年生になる頃には、無事に空手部の稽古にも復帰できました。

それからは、遅れを取り戻す為に毎日稽古を頑張りました。そんなある日、連続突きの稽古中に「ズキッーーーン!!」と今までに経験したことのない激痛が腰に走り硬直しました。すぐに整形外科へ行くと骨には異常ないとの診断で電気と牽引の治療を受け、湿布を処方されました。

しかし、腰の痛みは一向に治る気配がなく、大会に向けて稽古する部員を横目に「やっ稽古できるようになったのに、今度は腰の激痛に悩まされるなんてついてないなぁ…!?」と一人焦っていました。当時は今みたいにインターネットの環境もなく、腰痛に対しての対処方法はTVや本、あと雑誌くらいしか調べる方法がなかったので不安は増していくばかりでした。

そんなときに同級生から整体から整体院を紹介されました。藁にもすがる思いで来店しました。実際施術を受けた日から腰の痛みは楽になり、1ヶ月ほどで激痛は無くなり、「整体ってすごいな!」と思ったのが整体との出会いでした。その後は主将にもなり、高校を卒業するまで空手部の稽古を続けていたので、体のコンディショニングの為に整体院には月に3回ほど通いました。

社会人になったと思ったら極真空手の内弟子へ入寮

高校卒業後にJR九州へ入社できた為、家族も安心していたのですが、どうしても「空手で強くなること」を諦めきれなかったので、福岡で道場を探しました。

この時に伝統空手ではなく、今度は高校生の時に読んだ感銘を受けた極真空手の門をたたきました。入門した道場の師範は世界大会にも出場経験のある方で強さはもちろん、人間性もすばらしく、「ここなら強くなれる」と確信しました。
唯一残念だったのは、創始者である大山倍達総裁が既に他界されていたことでした。

そして「自分はどこまで強くなれるのだろうか?」という想いにしたがいどんどん極真空手にのめり込んでいきました。内弟子制度があることを知ってからはどうしても入寮したくなりました。その後、母を説得し、師範の許可もおり、JR九州を2年間で退職し、晴れて極真会館 本部直轄福岡道場の内弟子として1000日(約3年間)の内弟子生活へ。

毎日、朝早くから空手の稽古と道場生への指導の生活は、想像以上にきつかったです。
入寮1年目に試合に出場した際に肋骨を3回骨折しましたが、試合の翌日から肋骨の痛みを我慢しながら、極真魂なんて思いながら稽古をしていたのは今となっては良い思い出ですね。その後、ニューヨーク大会に出場したり、全日本大会にも出場するなど良い経験をつませていただきました。

ただ稽古のやりすぎで3年目には膝や腰の状態は良くなく、同時ドクターオブカイロプラティックの先生に週1でお世話になっており、本当に助けてもらっていましたし、体の歪みやバランスについて、真剣に学んだ時期でもありました。

今思うとこの頃から治療家としての道に興味が沸いていたのだと思います。

その後

無事に内弟子の卒寮試験(スクワットと拳立てを連続で1000回)に合格して内弟子を卒寮したあとは、2年ほどアルバイトをしながら選手生活を続けながら25歳の時にワーキングホリディでオーストラリアへ渡航。3ヵ月後に手持ちのお金が底を尽きるも極真空手で培ったチャレンジ精神で現地で知り合った人に気にいられて無事に1年間を過ごし帰国。

帰国後は営業の仕事にチャレンジしたり、建築関係や運輸関係の仕事をしてみたり、コーチングの勉強をしていましたが、30歳の時に人をサポートすることが好きということに気が付き、大手通信会社のコールセンターでテクニカルサポートのオペレーターとして働いていました。

転機

33歳のときに、夜の高速道路を運転中に中型車のスペアタイヤが落ちていたのですが夜間の為、気づいたときにはタイヤにぶつかっていました。さすがにこのときは死を覚悟しましたが、運よく車は横転もせず、他の車も巻き込まずに停車しました。

事故の衝撃でムチ打ちになり1ヶ月ほど入院しましたが、その他の外傷はなく、「本当についていたな!」と思ってましたが、事故から5ヶ月ほど経過したときに、右腕を曲げると10秒も経たずに右腕が指先までしびれる症状がでることに気が付きました。

これまで事故にあったり、怪我の経験はあったのですが、後遺障害が残ったのは初めてで焦りました。しびれに気づいてからは、病院でのリハビリに熱心に通うも、2年間経ってもしびれる症状は治ることはありませんでした。病院の先生からは「レントゲンやMRIで見た限りでは、特に異常はないよ。しいて言えば加齢による変化なんで、腕のしびれは気にしないように前向きに生きていきましょう。」と説明されるだけでした。

しかし腕のしびれを感じる度に「あの時、本当にタイヤを回避できなかったのか?」と自問自答しながらも、「高速道路で事故ったのに、この程度の症状で済んでよかったんだ。」と自分に言い聞かせて、半ば諦めながら過ごしていました。

そして、骨盤王国へ

内村院長との出会いは、人生初のギックリ腰になりかけた際に、インターネットで「どこか信頼ができて、腕のよい先生のいる整体院はないのか?」と検索した際に骨盤王国のHPを見て直感で「この先生なら、なんとかしてくれそう!」と思い駆け込んだのがきっかけです。腰の痛みが直ぐに良くなったので、右腕のしびれてしまう症状について相談しました。すると内村院長は「大丈夫です。治りますよ。任せといて下さい。」と自信たっぷりに答えてくださいました。

実際に施術を受けるごとに2年間変化が無かった右腕のしびれがどんどん無くなっていき感動しました。気が付けば来院すると元気になって帰れる骨盤王国の大ファンになっていました。

ソフトタッチなのにビックリするほど変化がでる骨盤王国の手技の秘密を知りたくなって当時、骨盤王国で開催されていた整体の勉強会に参加を開始。この勉強会で体に筋膜があることをはじめて知り、骨盤王国流の整体法の考えの奥深さに驚かされました。
そして、もっと本格的に整体の知識や技術を学びたいと想い施術家を目指す決意をしました。ここからが僕の施術家としての道の始まりになります。

最後に・・・

今まで多少の体の不調はあっても、ほぼ問題なく過ごせていた日々に何かしらのきっかけと様々なことが重なり、体の不調を本格的に感じ始めることがあります。すると何をしていても、ふとした時にその症状を意識してしまいます。こうなるといくら自分にとって楽しい時間を過ごしていても症状のせいでため息をついて、なんともいえない気持ちになってしまうものです。僕は自分自身が出口の見えない辛さを経験してきたので、どんよりとした暗い気持ちに症状は治っていく可能性があるんだ!という希望の光が見えたときの喜びを知っています。

今はインターネットでいろんな改善方法や治療院を調べることができると思います。
その中で過去に体の不調を治療院で治してもらったことで治療家になった方はたくさんいると思います。ただその自分の不調を治してもらった先生から治療技術を学んだ治療家はほんの一握りです。僕は自分の体を治してもらった骨盤王国の先生から直接学んできました。ですから骨盤王国の治療技術の高さや考え方については誰よりも自信を持っておすすめできます。

人生は何が起こるかわかりません。だからこそ体の不調を気にせずに今を心の底から充実して楽しめたほうがいいと思いませんか。僕は担当した患者さんを何としてでも治すんだという気持ちで患者さんの声に耳を傾け、「調子が良くなる!元気になる!笑顔になる!」と思ってもらえる治療ができるように日々精進しています。大丈夫です僕に任せて下さい!

趣味

健康追求

人間本来が持っている自然治癒力を最大に引き出す健康法が特に好きで、気になった方法は調べて、自分体を使って実験して変化を検証しています。
あと武道的な体の使い方についてよく考えたりします。今は極真時代の筋肉がすっかり落ちてしまったのでまずは体を鍛錬中。

DIY

子供の頃からものづくりが好きで、気が付けばDIY好きになりました。一番の大作はベランダに作成した本格的なウッドデッキ。現在は自宅用の作るものがなくなった為、友人に頼まれ、プチリホームをしていました。骨盤王国の職人と呼ばれることもあります。(笑)

料理

母が料理上手だった影響で子供のころから、料理に関心をもっていました。内弟子時代に本格的に料理を作るようになり、今ではお店で食べるときに、ついついどうやって作っているのかな?とあれこれ考えて食べてしまいます。
あと月1回を目安に友人におもてなしと称して料理をふるまったりしています。スパイスから作るインド風のトマトとキノコのカリーは常に大好評です。

読書

23歳の時に斉藤ひとりさんの本を読んだのがきっかけでビジネス書を読み始め、自己啓発の本やスピリチアル系の本はよく読んでいました。最近は読むことが減りましたが漫画も好きで北斗の拳や修羅の門、バキ、はじめの一歩からジョジョの奇妙な冒険など格闘技系はもちろん、いろんなジャンルを読んでは心に響いた言葉をメモしていました。

動画シリーズ

警固公園で骨盤矯正1

警固公園で骨盤矯正2

警固公園で骨盤矯正3

九州プロレス・パフォーマンスUP編

福岡の職業別お悩み編

大名のモデル事務所・腰痛編

背中で手を合わせよう大作戦編

ロックバンドに骨盤王子が乱入!!

テンピュールVS骨盤王子

カイロプラクティックオフィス天神より2012年5月1日に改名しました! 骨盤王国 天神バスセンターより徒歩3分 今泉バス停前 tel:0927251558
住  所:
福岡市中央区今泉1丁目21-9 ステージ天神ビル6階
受付時間:
10:00〜20:00
営 業 日:
年中無休
お電話でのお問合せ・ご予約はtel:0927251558 受付時間/10:00〜20:00
 

※お客様の声はあくまで個人の体験談であり、得られる結果には個人差があります。

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